院長からのメッセージ

与える愛の子育てってなあに?
愛には、ふたつの愛があります。
奪う愛と与える愛。
奪う愛ってどういうこと?
それは、人からほめられたいとか、好かれたいとか、ほかの人からすごいねっていわれたいとか、ほかの人を思い通りにしたいとか、そういうことをいいます。
つまり、ひとから愛されたいと思うことです。
では、与える愛ってどんなこと?
それは、相手にやさしくしたり、困っている人を助けたいと思ったり、人に親切にしたいと思ったりすることをいいます。
でも、あの人に親切にしてあげたのに、なんとも思わないとか、自分が相手をよくしてあげようとしたのに、逆に文句をいわれたとか、自分のしたことに見返りを求めるのは奪う愛です。ほんとうの与える愛とは見返りを求めません。
自分は、いつもこどものことを考えて、こどものことを心配し、愛を与えていると思うかもしれません。
でも、ちょっと待ってください。
愛していると思って、相手をしばっていませんか?
愛していると思って、こどもを自分の思い通りにしようとしていませんか?
こどもがキャラクターのくつがほしいといったときに、自分はもっとかわいらしいもの、かっこいいものを履かせたいとおもったり、
たとえおっぱいがでなくて、こどもがおなかをすかしても、母乳しかあげないとか、
自分の家が名門の大学に入ることが代々決まっているから、こどももそこに入れないといけないとか、
こどもが受験に落ちたら心配だといつもいっているが、それは、親がまた、もう一年苦労するのがいやだから、そう思っていたりとか、
自分の思い通りになるときはかわいいと思うが、そうでないときはかわいいと思えないとか、
自分がそうなると困るから、それとも本当にこどもの立場にたちこどものためを考えて思っているのか、どちらかわからなくなるときもあります。
こどもは120%おとうさん、おかあさんのことが大好きです。
そして、親がこどもから愛を奪ってばかりいると、こどものようすがおかしくなってきます。
いうことを聞かなくなってきたり、元気がなくなってきたり、あばれたり、病気をしたり。
そんなとき、自分がこどもだったころを思い出してください。
お日様がでて、うれしかった。
お月様がきれいだった。
雨の日にかたつむりをみつけてうれしかった。
おとうさん、おかあさんの背中に背負われて、暖かった。
おとうさん、おかあさんがいるととてもうれしくなる。
保育園や幼稚園であったことをいっぱい話したくなってくる。
こどものこころは 単純です。
日が射すだけでうれしくなったり、親が遊んでくれるとうれしくなったり、虫を見つけてうれしくなったり。
こどもは、まわりのことを考えないでいろんなことをします。はしゃいだり、暴れたり、危ないこともします。
でも、危ないことしたときにしかるときも、こどもの気持ちをわかってしかるのと、感情的に怒るのと、違ってきます。
たとえば、こどもが保育園から帰ってきて、おとうさん、おかあさんといっしょにいて、うれしくなり、はしゃいで、はしゃぎすぎて誤って物を壊したら、すこし考えてみてください。
なんてこの子はばかなの、どうしようもない子、と思ってしかるのと、
保育園で寂しい思いをして、やっと自分に会えてうれしくなって、はしゃぎすぎてつい壊したのか、この子は自分のことをこんなにも好きだと思っているんだと思ってしかるのと違ってきます。
親も忙しくなかなか余裕がなくなります。でも、今、自分はこどもに本当に愛を与えているのかそれとも思い通りにしようと愛を奪っているのか考えてみてください。
愛をたくさん与えらえれたこどもは、自立し、たくましくなり、また、その愛をまわりの人に与えれる人になってゆきます。
そんな子育てができるとよいと思っています。
ちょっとエラそうでしたが、いっぱい失敗した人が書きました。